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二人が初めてHした日
ピンク日記
カレシ・K( 38歳/会社員)カノジョ・M( 40歳/自営業)、結婚11年目の夫婦が初めてHしたのは、2011年8月11日のこと。 お互い見せ合わずに、初Hの日記を書いてもらいました。
カレシ・Kの8月11日
プラトニック崩壊! 憧れは永遠に
2010年頃、祖父の死をきっかけに知り合った血の繋がらない親戚の M。当時、僕は宮城に住んでいて、Mは僕にとって東京でバリバリ働くかっこいい憧れの女性。その翌年、東日本大震災で被災した僕は避難するタイミングで、Mの旅行に同行した。初めて会ったMは初対面とは思えないほどとにかく波長が合い、旅行のあとは夜中まで連絡を取 り合うようになっていった。
 それからMとは仲良し姉弟のような、それでいてずっと一緒にいれたらいいなと思えるプラトニックな関係に。東京には何度か遊びに行っていたが、その日は初めて、Mが僕のアパートに泊まりに来た。Mが来てくれるのが嬉しくて、駅まで迎えに行き、カレーを振る舞い、大好きな西部劇の衣装姿を披露。Mの家でも同じベッドで寝ていたから、この日も二人で僕のベッドに入る。大好きなMとは手が触れ合うだけでも嬉しくて、Hについては考えないようにしていた。だけどMと目が合い、導かれるようにキスをしてHが始まった。プラトニックな関係が崩れる瞬間、頭の中は失敗しないようなHをしようと必死だった。だけど、緊張でこのままじゃダメだと思い、換気扇の下で一服。年上で東京住み、おそらく恋愛経験豊富なM。自分の手や足、 口などすべてを使って奉仕し、彼女を満足させることに集中しようと決める。騎乗位中、憧れのMのボーイッシュなショートカット が振動に合わせて揺れる。あまりにかっこよくて、失敗の不安が吹っ飛 んだ。徐々に不安は喜びに変わり、安心感に満たされながら射精した。
 その日、姉弟から男女になった僕たちは付き合い、何度もHをした。 H自体はケンカをしても、結婚をしても、妊娠をしても、常に変わらな いMとの心を通じ合わせる大切な営み。これからも大好きな妻となったMを末長く愛し続けたい。
カノジョ・Mの8月11日
抱かれに行きますと会いに行った夜
 遠い親戚だったけど、20代後半まではお互いの存在を知らなかった私たち。彼の祖父が他界したことをきっかけに知り合い、チャットが始まる。何気ない日常の写真を送ってくるKはロマンチックな少年に映った。数か月経ち、3.11の震災で彼が被災し、10日間ほど一緒に旅をした。初めて会ったKは、私の対のような存在で居心地がいい。その後も連絡を取り合ううちに、いつしかKの文通はラブレターに変わっていった。
 小説の物語のように完璧な関係のK。もしHの相性が悪かったらつら過ぎるとよく考えていた。何度か私の家で泊まることはあったけどHはなく、しばらくしてTバックをはいて私はKに会いに行った。Kに会いに行く=抱かれに行きますの意味は伝わっていたのかな…? 家に着くと、Kは大好きな西部劇の衣装に着替えて、私に銃を何度も構える。自分のかっこいい姿を見せたい気持ちがかわいくて、この人しかいないと確信。今まで通りに並んで布団に入ったけど、この日はお互い見つめ合っていた。いよいよ始まる…とキスをしたら、緊張した面持ちでタバコを吸いに行くK。お互い緊張していたので、私も心を落ち着かせる。イチャイチャを再開し、挿入のタイミングで引き出しからKがコンドームを出す。夢が覚めてしまうように感じて少し寂しい。プラトニックな関係だったこともあり、Hは終始緊張でギクシャク。快楽は皆無で相性の不安が残る。でも翌朝のHはとても気持ち良くて、安心した。この日、男女の関係になったことで、特別な存在から、特別な恋人に変わった。
 それから数年後、夫婦になり親になったけど、私たちの関係は出会った頃とずっと変わらない。これからもKの憧れの女でいられるように、あの日のTバックを履きこなす体づくりに努めたい。
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