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カメラが捉えた事実の断片、監督の問題意識、被写体への想い。さまざまな複雑 性を帯び一つの作品となった映像作品の数々。そんな魅力あふれるドキュメンタリー をジャンルごとに総計100本紹介します。もしかしたら、この中からあなたの人生を 変える、かけがえのない作品を見つけることができるかも。
森達也が選ぶドキュメンタリー作品「虐殺」

森達也(67)映画監督、作家
『A』をはじめ、数々の社会派ドキュメンタリー作品を手がけるほか、著書も多数執筆。新作である初 の劇映画『福田村事件』は、9月1日より全国公開中。
『A』をはじめ、数々の社会派ドキュメンタリー作品を手がけるほか、著書も多数執筆。新作である初 の劇映画『福田村事件』は、9月1日より全国公開中。
虐殺はなぜ起きたのか
加害者の沈黙を見て考える
加害者の沈黙を見て考える

-STORY-
第二次世界大戦時にナチスによって行われたユダヤ人強制収容 、 ホロコーストの全貌を追求する。関係者の証言のみで構成される。
9時間に及ぶ大作なのですが、これがまったく飽きさせないんです。ナチスが占領した地域には、多くの収容所があり、至るところにホロコーストの生存者がいる。この作品はそういった人たち一人ひとりにインタビューをしていくんですね。さらに、加害者たちにも、「なぜあなたは虐殺に加担することができたのか」と質問をするのですが、彼らは沈黙します。自分がしたことを思い出したくないし映画に出ると顔も名前もわかってしまうわけだから、そりゃそうですよね。おそらくあの場にいて、何であんな行為ができたのかを自分でもわかっていない。でも、何人ものインタビューを見ていると、ホロコーストの実相みたいなものが浮かび上がってくる。ドキュメンタリー作品としては、シンプルなインタビューなので、はっきり言ったら凡庸です。だけど、あれだけの人数を撮ると重みが全然違う。 以前、アウシュヴィッツ収容所に行ったときにも感じたけれど、あの場所は、ナチスをモンスターにしてしまう装置だった。冷酷で残虐な人間だから、虐殺に加担できたと思うのは間違いだと気づく。それは虐殺をした彼らの苦渋に満ちた表情や沈黙を見ても感じるはず。映画って、答えを出してくれるわけじゃなく、僕らが考えるためにある。だから今、私たちが虐殺について考えるためにも、加害者の沈黙のシーンはとても重要だと思います。
『SHOAHショア』
1985年/フランス/監督:クロード・ラ ンズマン/マーメイドフィルム
第二次世界大戦時にナチスによって行われたユダヤ人強制収容 、 ホロコーストの全貌を追求する。関係者の証言のみで構成される。
9時間に及ぶ大作なのですが、これがまったく飽きさせないんです。ナチスが占領した地域には、多くの収容所があり、至るところにホロコーストの生存者がいる。この作品はそういった人たち一人ひとりにインタビューをしていくんですね。さらに、加害者たちにも、「なぜあなたは虐殺に加担することができたのか」と質問をするのですが、彼らは沈黙します。自分がしたことを思い出したくないし映画に出ると顔も名前もわかってしまうわけだから、そりゃそうですよね。おそらくあの場にいて、何であんな行為ができたのかを自分でもわかっていない。でも、何人ものインタビューを見ていると、ホロコーストの実相みたいなものが浮かび上がってくる。ドキュメンタリー作品としては、シンプルなインタビューなので、はっきり言ったら凡庸です。だけど、あれだけの人数を撮ると重みが全然違う。 以前、アウシュヴィッツ収容所に行ったときにも感じたけれど、あの場所は、ナチスをモンスターにしてしまう装置だった。冷酷で残虐な人間だから、虐殺に加担できたと思うのは間違いだと気づく。それは虐殺をした彼らの苦渋に満ちた表情や沈黙を見ても感じるはず。映画って、答えを出してくれるわけじゃなく、僕らが考えるためにある。だから今、私たちが虐殺について考えるためにも、加害者の沈黙のシーンはとても重要だと思います。
『SHOAHショア』
1985年/フランス/監督:クロード・ラ ンズマン/マーメイドフィルム
悪びれない加害者たちが
虐殺を演じる衝撃作
虐殺を演じる衝撃作

-STORY-
1960年代インドネシアで発生した大量虐殺。加害者にカメラを向け、虐殺がどのように行われたかを加害者が再現していく。
インドネシアで起きた大量虐殺を背景にしているこの映画。虐殺の加害者である男たちは今も町の英雄として君臨しています。そんな彼らに、監督のオッペンハイマーは「あなたたちが行った虐殺の映画を作らないか」と持ちかけ、カメラを向ける。彼らは自分たち自身で虐殺を証言し、カメラの前でロールプレイを始めるんです。こうやって殺したんだと、針金を首に巻いて絞める殺し方なんかを教えてくれる。見ていて本当につらいんですよ。しかも彼らの悪びれない姿が、恐ろしさをより増幅させる。そんな映画のラストは、ずっとイケイケだった男がベランダで嘔吐するシーン。ようやく彼の人間性が見えてホッとできたのに、実はカットが切り替わっているんですよね。僕の解釈だけど、おそらく演出なんじゃないかな。この男はカメラの前では勇ましいことを言っているけど、実のところはそうじゃない。そこまでの悪人はいないというメッセージだと感じたんです。まぁでも、実際に彼も泣いたり吐いたりしているとは思います。人を大量に殺して、平気でいられる わけがないですからね。
ちなみに、僕はドキュメンタリーって、撮る側と撮られる側の相互作用だと思っている。そういう意味でこの作品は、オッペンハイマーは被写体に対していろいろ仕掛けていますから、純粋なドキュメンタリーとして観てもおもしろいと思います。
『アクト・オブ・キリング』
2012年/デンマーク、ノルウェー、イギリス/監督:ジョシュア・オッペンハイマー/トランスフォーマー
1960年代インドネシアで発生した大量虐殺。加害者にカメラを向け、虐殺がどのように行われたかを加害者が再現していく。
インドネシアで起きた大量虐殺を背景にしているこの映画。虐殺の加害者である男たちは今も町の英雄として君臨しています。そんな彼らに、監督のオッペンハイマーは「あなたたちが行った虐殺の映画を作らないか」と持ちかけ、カメラを向ける。彼らは自分たち自身で虐殺を証言し、カメラの前でロールプレイを始めるんです。こうやって殺したんだと、針金を首に巻いて絞める殺し方なんかを教えてくれる。見ていて本当につらいんですよ。しかも彼らの悪びれない姿が、恐ろしさをより増幅させる。そんな映画のラストは、ずっとイケイケだった男がベランダで嘔吐するシーン。ようやく彼の人間性が見えてホッとできたのに、実はカットが切り替わっているんですよね。僕の解釈だけど、おそらく演出なんじゃないかな。この男はカメラの前では勇ましいことを言っているけど、実のところはそうじゃない。そこまでの悪人はいないというメッセージだと感じたんです。まぁでも、実際に彼も泣いたり吐いたりしているとは思います。人を大量に殺して、平気でいられる わけがないですからね。
ちなみに、僕はドキュメンタリーって、撮る側と撮られる側の相互作用だと思っている。そういう意味でこの作品は、オッペンハイマーは被写体に対していろいろ仕掛けていますから、純粋なドキュメンタリーとして観てもおもしろいと思います。
『アクト・オブ・キリング』
2012年/デンマーク、ノルウェー、イギリス/監督:ジョシュア・オッペンハイマー/トランスフォーマー
虐殺を煽ったラジオ放送
メディアは誰のために?
メディアは誰のために?

-STORY-
1994年、フツ族とツチ族の間で発生したルワンダ虐殺。メディアは虐殺の要因に民族紛争をあげたが、ラジオ放送の存在があった。
当時のルワンダでは、唯一のメディアがラジオだったんですね。国民の情報源として機能していたラジオが、フツ派である政府側のプロパガンダを始める。ツチ族に対して、「ゴキブリが来るぞ」と、「毒蛇が来るぞ」とか、ひどい言葉で罵倒するんです。ラジオのDJをやっていた男は、この映画で当時のことを聞かれ、「俺はプロデューサーに原稿を渡されて読んだだけだよ。殺せとは言っていない、国民がやっただけだ」と答える。僕はこの映像を、今のヘイトスピーチと重ねて見てしまった。在日朝鮮人に対して「ゴキブリ」と罵倒している現実。状況としては、ルワンダのラジオと全く一緒ですよね。この段階で、すでに虐殺への一歩が始まっていて、とても恐ろしいです。ちなみにこの作品はNHKスペシャルで放送されたドキュメンタリーで、ミイラになりかけているような遺体をモザイクなしで映している。今のテレビではこういう映像は視聴者からの苦情で放送できない。だけど、僕は観せるべきだと思っているんです。半分に裂けた子どもたちなどのリアルな映像を観ると、こんなこと絶対にやったらいけないと身に染みてわかる。映像がなかったら、何人死亡しまし たっていうのも、ただの記号になってしまう。僕らは今、どうメディアに向き合うべきか。この映画を観てメディアリテラシーについて考えてほしいですね。
『なぜ隣人を殺したか〜ルワンダ虐殺と煽動ラジオ放送〜』
1998年/日本/ディレクター:五十嵐久美子/NHKスペシャル
*『NHKスペシャル』:なぜ隣人を殺したか~ルワンダ虐殺と煽動ラジオ放送~,NHK,1998年1月18日放送の一部の画像を使用しています。
1994年、フツ族とツチ族の間で発生したルワンダ虐殺。メディアは虐殺の要因に民族紛争をあげたが、ラジオ放送の存在があった。
当時のルワンダでは、唯一のメディアがラジオだったんですね。国民の情報源として機能していたラジオが、フツ派である政府側のプロパガンダを始める。ツチ族に対して、「ゴキブリが来るぞ」と、「毒蛇が来るぞ」とか、ひどい言葉で罵倒するんです。ラジオのDJをやっていた男は、この映画で当時のことを聞かれ、「俺はプロデューサーに原稿を渡されて読んだだけだよ。殺せとは言っていない、国民がやっただけだ」と答える。僕はこの映像を、今のヘイトスピーチと重ねて見てしまった。在日朝鮮人に対して「ゴキブリ」と罵倒している現実。状況としては、ルワンダのラジオと全く一緒ですよね。この段階で、すでに虐殺への一歩が始まっていて、とても恐ろしいです。ちなみにこの作品はNHKスペシャルで放送されたドキュメンタリーで、ミイラになりかけているような遺体をモザイクなしで映している。今のテレビではこういう映像は視聴者からの苦情で放送できない。だけど、僕は観せるべきだと思っているんです。半分に裂けた子どもたちなどのリアルな映像を観ると、こんなこと絶対にやったらいけないと身に染みてわかる。映像がなかったら、何人死亡しまし たっていうのも、ただの記号になってしまう。僕らは今、どうメディアに向き合うべきか。この映画を観てメディアリテラシーについて考えてほしいですね。
『なぜ隣人を殺したか〜ルワンダ虐殺と煽動ラジオ放送〜』
1998年/日本/ディレクター:五十嵐久美子/NHKスペシャル
*『NHKスペシャル』:なぜ隣人を殺したか~ルワンダ虐殺と煽動ラジオ放送~,NHK,1998年1月18日放送の一部の画像を使用しています。
続きは本誌で!
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