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さまざまな角度から食を自分らしく実践・表現する6組のフォトドキュメント
若松優一朗
全力で遊ぶのも、みかん畑で作業するのも、どちらも気持ちいい
自分らしいスタイルで理想的な循環の形を目指しながら、祖父母と一緒に地元の宇和島市でみかん畑を営んでいる若松優一朗さん(以下:優一朗さん)。留学先で出会ったスケートカルチャーがきっかけで、固定概念にとらわれない自由なスタイルで農業をしています。みかん畑もみかんを使ったブランドも遊びも楽しむ優一朗さん。どんなきっかけで、みかん農家になることを決めたのか、話を伺いました。
大学時代の授業がきっかけでみかん農家の道が見えた
ー愛媛県に帰郷し、農業をすることを決めた最初のきっかけは?

 もともとはじいちゃんとばあちゃんがみかん畑をしていました。自分は大学まで野球一筋で、畑を手伝うことはほとんどなかったのですが、大学の授業で学んだ観光学がきっかけになり、農家になろうと思ったんです。旅行先などで、地域の資源を生かしたアクティビティーを取り入れることや、それが地元の人たちの生活も豊かにするサステナブルツーリズムという考え方にすごく衝撃を受けました。その土地の文化や自然環境を守りながら、持続可能な社会を作ることを考えたときに、真っ先に頭に浮かんだのが祖父母のみかん畑でした。それまでは、身近にありすぎて気がつかなかったけれど、春はみかんの花が咲いて、実り出す夏の頃には海に飛び込みに行ったりして、秋と冬には家族で収穫。野球ばかりしていた自分のすぐそばで、季節とともに畑は循環していたんだなって。まじめに授業を受けながら、いつも地元のことを思い出していましたね。

ーもともと、みかん農家を継ごうと考えていたのですか?

 観光学を学ぶまでは考えていなかったです。両親は農業を継いでいないから、みかん畑を管理しているのはじいちゃんとばあちゃんの二人だけ。昔、輸入のオレンジが増えて、宇和島みかんが売れにくくなった時期があったそうで、両親は農業を継がずに、就職活動をしたそうなんです。
 大学卒業後、僕が愛媛に帰って、祖父母の農作業を手伝っていたとき、みかんが満杯に入った20キロくらいのケースが何十個もあり、それを祖父母が1個ずつゆっくり運んでいたんです。かっこいいと思ったのと同時に、これは年配の二人がするべき作業ではなく、若い世代がするべきだと強く感じました。両親は継がなかったけれど、いずれは自分が、みかん農家を継ごうと、そのときに決意しました。
を祖父母が1個ずつゆっくり運んでいたんです。かっこいいと思ったのと同時に、これは年配の二人がするべき作業ではなく、若い世代がするべきだと強く感じました。両親は継がなかったけれど、いずれは自分が、みかん農家を継ごうと、そのときに決意しました。
 
スケートカルチャーから培った精神


ー優一朗さんは、今まで、海外を含めいろいろな場所を訪れていますが、選択や行動において影響されたものはあったのですか?

 大学在学中、カナダへ留学した際に目の当たりにしたスケートカルチャーにすごく影響を受けました。スケートパークでは、年齢も性別も服装も言語も一切関係なく、みんな自由にスケートボードの練習をしていたんです。野球は、決まったルールの中でチームで行うスポーツだけど、スケートボードは完全に個人プレイ。音楽を聴きながら滑るのも、危険な技や、不注意でケガをするのも、自己責任。その感覚が、今の自分の選択や行動にすごく影響しています。

ー自分の行動に責任を持つということが、農業にどう生かされていると思いますか?

 そうですね、みかん畑では早朝にばあちゃんに叩き起こされて、日が暮れるまで作業をします。季節によって作業時間や内容が変わりますが、基本的には収穫したみかんの仕分け、出荷や発送がメイン。休憩したいときには休憩して、タバコも吸いたいときに吸います。作業が少ない日は缶ビールを飲みながらみかん畑を散策することも。なにもせずサボっていれば、それはすべて自分に返ってきますし、楽しまずに作業をしていても、それをずっとは続けられません。どうやって動くか、全部自分次第だなと思います。

 
最大限に遊んで、違う視点や空気を吸収する
ーみかん畑では、現在、何種類のかんきつ類を栽培しているのですか?

 南柑20号、はるか、早生みかんなど、10品種ほど栽培しています。僕が運営するブランド『Tangerine(タンジェリン)』では収穫したみかんを加工し、シーズンごとにジュースなどの販売をしています。当初はケータリングでの生搾りみかんジュースの提供がメインだったのですが、今では友人のアーティストたちとのコラボレーション販売などもしています。

ーケータリング出店などで、他県に行く際、大切にしていることなどはありますか?

 他県で出店するときには、その土地で最大限に遊んで、違う視点や空気を吸収するようにしています。ずっと畑にいても飽きてしまうので。友人たちと全力で遊ぶことも大好きだけど、やっぱり人に会いすぎたり、都会だと情報量が多かったりして疲れてしまうこともあります。そうしたら、みかん畑に帰ってきて、作業をしたり、土を触ったりすると不思議と落ち着くんですよね。友人と遊ぶ中で感じたことや友人と共有したことを、また畑で思い出して、次の動きを考えるのは、すごく気持ちが良いです。

ー畑を離れる時間を作って、都会と田舎のバランスを楽しんでいますね。

 もちろん畑の仕事は常にやることはあるけど、みかん畑は四六時中気を使って管理をしなくてもいい農業なんです。なので、今はバランスよく仕事ができていますが、今後変わっていく可能性もある。それは誰にもわからないし、今を大事にしたいです。
 
自由に楽しく農業をする、それが継続につながります
ー第一次産業において、高齢化による後継者不足や、人手不足は大きな問題となっていますが、優一朗さんはどう感じていますか?

 実際に、地元愛媛県でも、管理できず放置されているみかん畑を目にします。僕たちの畑はギリギリ管理できていますが、人手不足を感じることも多いですね。今は手伝いに来てくれる友人がいて助けられているのですが、今後は一緒に楽しんで働ける人を雇えるようになりたいと思っています。

ー継ぐ人がいなければ、畑はただの荒地になってしまいますよね。若い方が少ない現状で、世代的なギャップを感じることはありますか?

 農業を始めた当初は、田舎ならではの考え方に心地悪さを感じることもありました。僕が楽しそうにみかんの可能性を周りの人たちに話していたら、地元の農家さんから「楽しいもんじゃない、大変な作業だ」と言われたり、農業をなめていると勘違いされたりすることも。でもそれは、自分の能力を着実に上げていけばいいことだなって思いました。その土地や、周りの人たちを大切に思い、自分ができることを行動に移す。結局、自分がやりたいことをすることが、一番持続的なことなのかなと思うんです。それが社会にも適合していったら最高じゃないですか。自由に楽しく農業をしながら、生活を続けることが理想的です。
今を大切に生きることを続けていく
ーこれまでも今も、「みかん」をきっかけにたくさんの人たちを魅了し続けていますが、今後はどんなことがしたいですか?

 普段考えてることになっちゃうのですが、ケータリング出店で地方へ行くといろんな人とつながったり、スケボー中にアイデアが降りてくることがあって。フットワークを軽くすることで、出会った人やその土地と、自分のライフスタイルが循環して日々の楽しさも連鎖すると思うんです。みかん畑や「Tangerine」もその一つ。みんなに食べてほしい気持ちはあるけど、おもしろいことを探していたら、宇和島のみかんを見つけた!くらいのラフな気持ちで出会えたら楽しいじゃないですか。いつかゲストハウスを作ってみんなが泊まりに来て、自作のスケートパークで遊びながらみかんジュースで乾杯する。これからも、そんなイメージや空気感をみんなで楽しみたいですね。
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